Campeonato Paulista 2020カンピオナート・パウリスタ 2020

ネイマールがコリンチャンス加入寸前だった事実が判明 かつてはマラドーナ、リケルメとも交渉決裂

サンパウロの名門コリンチャンスが最も欲しい時期に獲得できなかった6人のスーパースターとは?
▲ コリンチャンスは(当時)アルゼンチン代表FWディエゴ・マラドーナにもオファーを出していた
先日、ブラジル代表FWネイマールの父親は、ネイマールがサントスからバルセロナ(スペイン)へ移籍する以前に、コリンチャンスからのオファーがあった事実を明らかにした。コリンチャンスとの交渉は、契約目前まで順調に進んでいたというが、結局ネイマールはコリンチャンスからのオファーにサインしなかった。

しかし、コリンチャンスの大物獲りの失敗はネイマールの例に限ったことではない。当欄では、コリンチャンスが最も欲しい時期に獲得できなかった5人のスター選手を紹介する。

▼ ディディエ・ドログバ (元コートジボワール代表)
マルセイユ(フランス)やチェルシー(イングランド)などで輝かしい功績を残したストライカーに向けて、コリンチャンスは2016年末にオファーを出した。オファーを受けたドログバはコリンチャンスのホベルト・ジ・アンドラージ会長(当時)と会談の機会を設け、コリンチャンスへの感謝を伝えながらも「今はブラジルへ行くタイミングではない」として最終的にはオファーを断っている。

▼ ファン・ロマン・リケルメ (元アルゼンチン代表)
アルゼンチンとボカ・ジュニオルスが誇る稀代のファンタジスタに向けて、コリンチャンスは2009年末にオファーを出した。当時コリンチャンスに所属していた元ブラジル代表FWホナウドは「彼にコリンチャンスでプレーしてほしい」と好意的なコメントをして、ボカ側も当時オファーがあったことを認めているが、リケルメ自身もボカを離れる意志がなかったため、移籍は実現しなかった。

▼ ディエゴ・マラドーナ (元アルゼンチン代表)
1986年にワールドカップ優勝の立役者となったアルゼンチンのレジェンドについて、1994年にサンパウロの日刊紙「Jornal da Tarde」が「コリンチャンスがマラドーナを獲得」と新聞紙面で報じたが、のちにフェイクニュースであったことが判明。実際の交渉は決裂していた。現在はSporTVで司会などを務めるアンドレ・ヒゼッキ氏は、「Jornal da Tarde」で記事を書いた記者として当時を振り返り、「後悔している」と反省。

▼ パウロ・セーザル・カジュ (元ブラジル代表)
若い頃にボタフォゴで80ゴール以上を叩き出した左ウイングに向けて、コリンチャンスは1971年にオファーを出したが、交渉は半ばで決裂。その10年後の1981年にコリンチャンスはパウロ・セーザル・カジュの獲得を実現させたが、すでにブラジル代表を引退していて31歳になっていた同選手は、コリンチャンスで4試合に出場しただけで、すぐに退団した。

▼ バギネル・ラブ (元ブラジル代表)
パウメイラスのユース時代に合宿所に女の子を連れ込んだことが発覚して、「スケベ」を揶揄する「LOVE」が登録名についたストライカーは、CSKAモスクワ(ロシア)での選手生活に不満を抱いていた。そんな2005年当時、MSI社によるチーム大改造計画を進めていたコリンチャンスは同選手にオファーを出したが、そのときの交渉は最終的に破談になり、カルロス・テベスとのツートップ構想は実現に至らなかった。バギネル・ラブはその後、2015年にコリンチャンスの選手となって同年のブラジレイロン優勝に貢献。1年でチームを去ったが、2019年に復帰している。
2020.04.25

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